1980年代前半の日本で最も人気の高かった洋楽アーティストはDURAN DURAN〔デュラン・デュラン〕である。
もちろん、DURAN DURANはビッグ・イン・ジャパンではなく、本国である英国はもとより、世界的な成功を修めたアーティストなのだが、1980年代前半における日本での人気は凄まじいものがあった。
筆者の記憶を辿るなら、普段ロックを聴かないようなリスナー層までをも巻き込んだその人気の高さは1990年代におけるOASIS〔オアシス〕の上を行っていたのではないだろうか?
当時の音楽雑誌MUSIC LIFEには毎月のようにDURAN DURANの記事が掲載されており、ここ日本で彼らの牙城に迫れるアーティストはCULTURE CLUB〔カルチャー・クラブ〕くらいだったような気がする。
ちなみに、英国でのDURAN DURANのライバルと言えばSPANDAU BALLET〔スパンダー・バレエ〕ということになっているらしいが、ここ日本でのDURAN DURANのライバルと言えばCULTURE CLUBであり、SPANDAU BALLETの日本での人気はあまり高くなかった。
DURAN DURANというバンドは、メンバー5人全員が日本の女子が好む美麗なルックスをしており、筆者も彼らのアーティスト写真を初めて見た時は、「まるで少女漫画から抜け出てきたようだな」と感じたものである。
更に言うなら、DURAN DURANというバンドは運が良かった。
当時、日本で女子に圧倒的な人気を誇ったDavid Sylvian〔デヴィッド・シルヴィアン〕が在籍していたJAPAN〔ジャパン〕の解散が1982年、DURAN DURANのデビューが1981年であるため、JAPANのファンだった女子の多くがDURAN DURANに流れたはずである。
筆者が中学生の頃、同じクラスのロック女子達の多くはJAPANのDavid Sylvianのファンだったが、その多くがDURAN DURANのNick Rhodes〔ニック・ローズ〕のファンでもあったし、実際にこの二人はよく似ている(というか、Nick RhodesがDavid Sylvianの影響を受けているのだろう)。
しかし、筆者が語りたいDURAN DURANの凄さとは女子からの人気が高かったということだけではない。
DURAN DURANというバンドの凄さは、彼らの創り出す曲の音楽性の高さなのである。
彼らの先輩であり、度々比較され、影響も受けているであろうJAPANも日本での人気が高かったが、JAPANの曲はアーティスティックすぎてポピュラリティが低いため大衆性を持っていなかった。
それに比べ、DURAN DURANの曲はアーティスティックな面も持ちつつも、非常にダンサブルであり、ポピュラリティが高く、大衆性を持っていたのである。
DURAN DURANがバンド結成時に目指した音楽性は、David Bowie〔デヴィッド・ボウイ〕やROXY MUSIC〔ロキシー・ミュージック〕のようなアート・ロック、SEX PISTOLS〔セックス・ピストルズ〕のようなパンク・ロック、CHIC〔シック〕のようなファンクやディスコ・ミュージックの融合であり、彼らはこれを見事に成功させている。
そして、彼らが上記の三つの要素を絶妙なバランス感覚で融合させた傑作が、3rdアルバムの「SEVEN AND THE RAGGED TIGER」なのである。
1stアルバムの「DURAN DURAN」、2ndアルバムの「RIO」も三つの要素を融合させた佳作であったが、当時流行していたニュー・ロマンティックの閉鎖的な感覚を引き摺っていた部分がある。
しかし、この3rdアルバムの「SEVEN AND THE RAGGED TIGER」では閉鎖的な感覚を脱ぎ捨て突き抜けた感がある。
このアルバムは最高のロック・ミュージックであり、同時に、最高のダンス・ミュージックでもある。
1980年代的なシンセサイザーの音がバブリーで時代を感じさせなくもないが、そんなことが気にならないほど、収録曲の全てが2018年の現代でも十分に通用するポピュラリティを備えている。
そして、更に、このバンドの凄いところは、1980年代に栄華を極めた多くのバンドが解散していくなか、現在まで一度も解散することなくクオリティの高い創作活動を続けていることである。