今回はSTEVE STEVENS ATOMIC PLAYBOYS〔スティーヴ・スティーヴンス・アトミック・プレイボーイズ〕の1stアルバムにして、2019年3月現在においては唯一のアルバムである「ATOMIC PLAYBOYS」を取り上げてみる。
と、書いてはみたものの、Wikipediaを見ると現在このアルバムは、Steve Stevens〔スティーヴ・スティーヴンス〕のソロ・アルバムとしての「ATOMIC PLAYBOYS」という扱いなっている。
しかし、このアルバムはBilly Idol〔ビリー・アイドル〕の下を離れたギタリストのSteve Stevensが、ヴォーカルに元WARRIOR〔ウォーリアー〕のPerry McCarty〔ペリー・マッカーティ〕、ドラムスにThommy Price〔トミー・プライス〕(この人も元Billy Idolのバック・バンド)、キーボードにPhil Ashley〔フィル・アシュリー〕を専属メンバーに迎えて制作したアルバムであり、ベースこそSteve Stevensが兼任しているものの、当時はSTEVE STEVENS ATOMIC PLAYBOYSというバンドのアルバムという認識が確実にあった。
筆者にとってこのアルバムは1989年のベストアルバムと言えるほどのお気に入りだったのだが、ライヴを観損ねた憎らしいバンドのアルバムという印象が今でも強く残っている。
だいぶ昔の話で恐縮なのだが、1989年12月31日に東京ドームで行われたカウントダウン・ライヴがあり、Michael Monroe〔マイケル・モンロー〕、Don Henley〔ドン・ヘンリー〕、Bryan Adams〔ブライアン・アダムス〕、HUEY LEWIS & THE NEWS〔ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース〕と共にSTEVE STEVENS ATOMIC PLAYBOYSの出演が決まっていた。
しかし、ライヴ当日よりも前にSTEVE STEVENS ATOMIC PLAYBOYSは解散、代役としてLOUDNESS〔ラウドネス〕がその穴を埋めることになったのである。
期せずしてMichael Vescera〔マイク・ヴェセーラ〕在籍時の貴重なLOUDNESSを観れたのだが、1990年を迎える貴重なイベントでSTEVE STEVENS ATOMIC PLAYBOYSを観たくて新幹線で京都から東京に向かった筆者にとって、これはかなり痛い記憶である。
このアルバムは、当時としてはかなり斬新な音楽性を備えた作品だった。
Steve Stevensのテクニカルなギターを前面に押し出すのではなく(もちろん、それもあるのだが)、ホーンが鳴るファンキーな曲、プログラミングを使った近未来的な曲、Steve Stevensお得意のフラメンコ・ギター等、幅広い音楽性を聴かせつつ、Steve Stevens が組んだシンガーの中では最も高い歌唱力を持つPerry McCartyが歌うメロディも楽しめる作品に仕上げられている。
SWEET〔スウィート〕のカヴァー"Action"も、このバンドのバージョンが今でも一番好きだ。