FASTER PUSSYCATが1stアルバム「FASTER PUSSYCAT」をリリースしたのは1987年7月であり、これはGUNS N' ROSES〔ガンズ・アンド・ローゼズ〕の1stアルバム「APPETITE FOR DESTRUCTION」とリリース時期がドン被りしている。
今でもよく憶えているのだが、この2枚のアルバムがリリースされる少し前に、当時の洋楽雑書MUSIC LIFEに「アメリカン・ハード・ロックン・ロール特集」的な記事が掲載されていて、その内容は「1970年代に活躍したAEROSMITH〔エアロスミス〕やKISS〔キッス〕に影響を受けた若い世代のバンドが米国で盛り上がりを見せ始めている」というものだった。
その「若い世代のバンド」の筆頭として紹介されていたのがGUNS N' ROSESとFASTER PUSSYCATであり、更に注目株としてL.A.GUNS〔L.A.ガンズ〕、JETBOY〔ジェットボーイ〕、BRUNETTE〔ブルネット〕等が紹介されいたのだが、このムーヴメントをかなり深く掘りさげた記事だったと記憶している。
話が逸れたが、FASTER PUSSYCATの1stアルバム「FASTER PUSSYCAT」での演奏の下手さ加減は、当時のグラム・メタル界隈で最下位だったかもしない。
もしかすると、当時、演奏が下手だと叩かれまくっていたあのPOISON〔ポイズン〕よりも危うかった可能性がある。
しかし、AEROSMITH、NEW YORK DOLLS〔ニューヨーク・ドールズ〕、HANOI ROCKS〔ハノイ・ロックス〕への憧憬を隠さない彼らのスタイルが好きだった筆者は一緒に買ったGUNS N' ROSES の1stアルバムよりもFASTER PUSSYCATの1stアルバムを愛聴していた。
その後、1年ほど経過すると彼らの情報が洋楽雑誌に載らなくなり、「レコード会社に契約を切られたかな」と思っていた矢先に突然リリースされたのが今回取り上げた2ndアルバムの「WAKE ME WHEN IT'S OVER」である。
このアルバムを聴いて驚いたのは、演奏が上手くなっていたことである。
それも、練習して上手くなったというよりも、過酷なツアーで鍛え上げられて上手くなった感じであり、1曲目"Where There's A Whip, There's A Way"の骨太なロックン・ロールに意表を突かれる。
そして、このアルバムで何よりも特筆すべき曲は、両親が離婚した子供の苦痛を切々と歌ったバラードの"House Of Pain"だ。
筆者の両親も離婚していたため、この曲で歌われいる子供の悲痛な叫びが他人事には思えず、当時の筆者の心に突き刺さった。
今でもこの曲を聴くと、子供を悲しませる親達に対し、強い憤りを覚えるのである。