Rock'n'Roll Prisoner's Melancholy

好きな音楽についての四方山話

#0118) SEVEN AND THE RAGGED TIGER / DURAN DURAN 【1983年リリース】

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1980年代前半の日本で最も人気の高かった洋楽アーティストはDURAN DURANデュラン・デュラン〕である。


もちろん、DURAN DURANはビッグ・イン・ジャパンではなく、本国である英国はもとより、世界的な成功を修めたアーティストなのだが、1980年代前半における日本での人気は凄まじいものがあった。


筆者の記憶を辿るなら、普段ロックを聴かないようなリスナー層までをも巻き込んだその人気の高さは1990年代におけるOASIS〔オアシス〕の上を行っていたのではないだろうか?


当時の音楽雑誌MUSIC LIFEには毎月のようにDURAN DURANの記事が掲載されており、ここ日本で彼らの牙城に迫れるアーティストはCULTURE CLUBカルチャー・クラブ〕くらいだったような気がする。


ちなみに、英国でのDURAN DURANのライバルと言えばSPANDAU BALLETスパンダー・バレエ〕ということになっているらしいが、ここ日本でのDURAN DURANのライバルと言えばCULTURE CLUBであり、SPANDAU BALLETの日本での人気はあまり高くなかった。


DURAN DURANというバンドは、メンバー5人全員が日本の女子が好む美麗なルックスをしており、筆者も彼らのアーティスト写真を初めて見た時は、「まるで少女漫画から抜け出てきたようだな」と感じたものである。


更に言うなら、DURAN DURANというバンドは運が良かった。


当時、日本で女子に圧倒的な人気を誇ったDavid Sylvianデヴィッド・シルヴィアン〕が在籍していたJAPAN〔ジャパン〕の解散が1982年、DURAN DURANのデビューが1981年であるため、JAPANのファンだった女子の多くがDURAN DURANに流れたはずである。


筆者が中学生の頃、同じクラスのロック女子達の多くはJAPANのDavid Sylvianのファンだったが、その多くがDURAN DURANNick Rhodesニック・ローズ〕のファンでもあったし、実際にこの二人はよく似ている(というか、Nick RhodesDavid Sylvianの影響を受けているのだろう)。


しかし、筆者が語りたいDURAN DURANの凄さとは女子からの人気が高かったということだけではない。


DURAN DURANというバンドの凄さは、彼らの創り出す曲の音楽性の高さなのである。


彼らの先輩であり、度々比較され、影響も受けているであろうJAPANも日本での人気が高かったが、JAPANの曲はアーティスティックすぎてポピュラリティが低いため大衆性を持っていなかった。


それに比べ、DURAN DURANの曲はアーティスティックな面も持ちつつも、非常にダンサブルであり、ポピュラリティが高く、大衆性を持っていたのである。


DURAN DURANがバンド結成時に目指した音楽性は、David Bowieデヴィッド・ボウイ〕やROXY MUSICロキシー・ミュージック〕のようなアート・ロック、SEX PISTOLSセックス・ピストルズ〕のようなパンク・ロック、CHIC〔シック〕のようなファンクやディスコ・ミュージックの融合であり、彼らはこれを見事に成功させている。


そして、彼らが上記の三つの要素を絶妙なバランス感覚で融合させた傑作が、3rdアルバムの「SEVEN AND THE RAGGED TIGER」なのである。


1stアルバムの「DURAN DURAN」、2ndアルバムの「RIO」も三つの要素を融合させた佳作であったが、当時流行していたニュー・ロマンティックの閉鎖的な感覚を引き摺っていた部分がある。


しかし、この3rdアルバムの「SEVEN AND THE RAGGED TIGER」では閉鎖的な感覚を脱ぎ捨て突き抜けた感がある。


このアルバムは最高のロック・ミュージックであり、同時に、最高のダンス・ミュージックでもある。


1980年代的なシンセサイザーの音がバブリーで時代を感じさせなくもないが、そんなことが気にならないほど、収録曲の全てが2018年の現代でも十分に通用するポピュラリティを備えている。


そして、更に、このバンドの凄いところは、1980年代に栄華を極めた多くのバンドが解散していくなか、現在まで一度も解散することなくクオリティの高い創作活動を続けていることである。

 

#0117) OUT OF THE CELLAR / RATT 【1984年リリース】

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2018年現在、グラム・メタルと呼ばれているジャンルは、そのムーヴメントの最盛期である1980年代の日本ではLAメタルと呼ばれていた。


そのジャンルのバンドの多くが米国カリフォルニア州ロサンゼルス(L.A.)を拠点に活動していたことがLAメタルという呼称の由来だ。


故にLAメタルとは、ほぼ日本でのみ通用する呼称であり、世界的にはグラム・メタルと呼ばれることが普通で、ここ日本でも最近ではLAメタルではなくグラム・メタルという呼称の方が通りやすくなってきた。


さて、そのグラム・メタル(LAメタル)の代表的バンドと言えば、MOTLEY CRUE〔モトリー・クルー〕(正式なバンド名はOとUの上にウムラウトという横並びの二つの・が付く)とRATT〔ラット〕ということになっているようだが、2018年現在でも大物バンドとして扱われているMOTLEY CRUEに対し、RATTの扱いは少々寂しいものがあると言わざるを得ない。


しかし、1980年代のグラム・メタル・ムーヴメントをリアルタイムで体験した者の感触としては、デビュー当時のRATTの人気はMOTLEY CRUEを凌駕していたと言い切れる。


それどころか、今では誰もが認める大物のBON JOVIボン・ジョヴィ〕ですら、RATTの人気には到底敵わない位置にいたのである。


RATTというバンドはとにかく女子からの人気が高かった。


当時のMOTLEY CRUEやBON JOVIに比べ、RATTが女子からの人気が高かった理由は簡単である。


RATTというバンドは奇跡的なくらい、メンバー5人のルックスが良く、普段はDURAN DURANデュラン・デュラン〕のようなポップ寄りのバンドを聴いていた女子までもがRATTを好んで聴いていたのである。


こう書くと、RATTがチャラチャラした軽薄な偽物のメタル・バンドという印象を与えてしまうかもしれないが、実はこのバンド、音楽的にはかなり硬派なメタル・バンドであり演奏技術も高い。


今回取り上げた1stアルバムの「OUT OF THE CELLAR」は、そんな彼らの硬派なメタル・バンドとしての側面が強く出た作品である。


このアルバムは彼らの代名詞ともなった"Round And Round"だけのアルバムではない。


全編を通して、鋭いエッジを持ったRATTヘヴィ・メタル(これをRATT自身はRatt’n’Roll〔ラットン・ロール〕と呼んだ)であり、1980年代のグラム・メタル・ムーヴメントに刻まれた名盤である。


RATTの音楽性を語るときに、しばしば「明るくて開放的」と言われることがあるが、筆者個人の感覚としては、そういう印象は無い。


RATTの音楽性には彼らよりも少し後で人気を博したPOISON〔ポイズン〕やWARRANT〔ウォレント〕のような親しみ易さやポピュラリティは無い。


むしろ、ヴォーカルのStephen Pearcy〔スティーヴン・パーシー〕の声質は独特であり、ダーティで親しみ難いほどであるが、これが無いとRATTにはならないのである。


Stephen Pearcyのアクの強いヴォーカルをこのバンドの魅力に変えてくれているのが演奏陣の技術力であり、特にWarren DeMartini〔ウォーレン・デ・マルティーニ〕のテクニカルなギターである。


1980年代のグラム・メタル・ムーヴメントの頃、Warren DeMartiniに憧れるギター少年は沢山いたが、Mick Mars〔ミック・マーズ/MOTLEY CRUE〕に憧れるギター少年なんて、少なくとも筆者の周りではいなかった。


RATTに対し、チャラチャラした軽薄なグラム・メタル・バンドという先入観を持っている人は、ぜひ、この「OUT OF THE CELLAR」を聴いて、彼らのヘヴィ・メタル・バンドとしての神髄を確認して頂きたい。


ただし、ミュージック・ヴィデオから彼らに接するのは避けた方がよい。


1980年代というのは、そもそもそういう時代だったのだが、初期のRATTもご多分に漏れず、なかなかの軽薄ぶりを遺憾なく発揮している。

 

#0116) BUDDY HOLLY / Buddy Holly 【1958年リリース】

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今回取り上げるBuddy Hollyバディ・ホリー〕の1stアルバム「BUDDY HOLLY」は1958年のリリースであり、このブログで取り上げたロックのアルバムの中では最古のものである。


今、1stアルバムと書いたが、Buddy HollyはTHE CRICKETS〔ザ・クリケッツ〕として1957年に「THE "CHIRPING" CRICKETS」をリリースしており、「BUDDY HOLLY」もNiki Sullivan〔ニキ・サリバン/guitar〕、Joe B. Mauldin〔ジョー・B・モールディン/bass〕、Jerry Allison〔ジェリー・アリソン/drums〕というTHE CRICKETSのメンバーを率いて録音されているので、何となく2ndアルバムという印象がある。


以前、#0110でNICKEY & THE WARRIORS〔ニッキー&ザ・ウォーリアーズ〕の「DREAMS」を取り上げた時に、筆者に日本のロックを教えてくれた高校の同級生のK君のことを書いたが、実はK君は1950年代の米国のロックン・ロールやロカビリーにも造詣が深く、今回取り上げた「BUDDY HOLLY」もK君からテープに録音してもらったアルバムである。


K君からBuddy Hollyを教えてもらうまで、筆者の中では「ロックとはTHE BEATLESザ・ビートルズ〕以降」という固定概念があった。


しかし、このアルバム「BUDDY HOLLY」を初めて聴いた時、確かに録音技術の古さを感じたものの、曲の良さが現代(当時は1980年代)でも十分に通用することに驚いた。


THE BEATLESTHE ROLLING STONESザ・ローリング・ストーンズ〕でお馴染みのヴォーカル、ギター×2、ベース、ドラムスというロック・バンドの基本的なバンド編成は、諸説あるもののBuddy Hollyから始まったと言われており、確かに「BUDDY HOLLY」で聴くことが出来るサウンドTHE BEATLESTHE ROLLING STONESの初期のサウンドとかなり似ているのである。


実際にはTHE BEATLESTHE ROLLING STONESBuddy Hollyを真似たのであり、THE ROLLING STONESに至っては米国盤の1stアルバム「ENGLAND'S NEWEST HIT MAKERS」の一曲目にBuddy Hollyの"Not Fade Away"を収録している。


後の時代にロック・スターとして大きな影響を与えたのはキング・オブ・ロックンロールことElvis Presleyエルヴィス・プレスリー〕だが、ロック・ミュージシャンとして大きな影響を与えたのはBuddy Hollyだろう。


このアルバム「BUDDY HOLLY」の目玉は"I'm Gonna Love You Too" 、"Peggy Sue"、"Words Of Love"、"Rave On!"等のヒット・シングルが収録されていることかもしれないが、この時代はまだアルバムのコンセプトという概念が希薄だったせいか、シングルか否かに関わらず、とにかく良い曲の寄せ集めになっているところが凄い。


Buddy Hollyは22歳という若さで亡くなっているのでオリジナルのスタジオ・アルバムは3枚しか残していないのだが、どれを聴いてもまるでグレイテスト・ヒッツ・アルバムのようである。


今回は今日の筆者の気分で「BUDDY HOLLY」を取り上げたが、「THE "CHIRPING" CRICKETS」と「THAT'LL BE THE DAY」の二枚も良い曲の詰まった名盤であることを付け加えておく。

 

#0115) BY THE LIGHT OF THE MOON / LOS LOBOS 【1987年リリース】

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LOS LOBOSロス・ロボス〕と言えば、多くの洋楽ファンにとっては、Ritchie Valens〔リッチー・ヴァレンス〕のカヴァーであり、映画『ラ★バンバ』の主題歌としてヒットした"La Bamba"なのだろう。


しかし、"La Bamba"以前からLOS LOBOSを知る洋楽ファンの立場から言わせてもらうと、"La Bamba"はLOS LOBOSというバンドが持つ魅力のほんの一部である。


LOS LOBOSをインターネットで調べると、Chicano Rock〔チカーノ・ロック〕、Latin Rock〔ラテン・ロック〕、Tex-Mex〔テックス・メックス〕等、メキシコ系米国人としてのルーツに根差したジャンル分けが強調されているが、筆者にとって、LOS LOBOSとは最高にイカしたロックン・ロール・バンド、それで十分なのである。


もちろん、LOS LOBOSというバンドの最大の特徴はラテン音楽とロック・ミュージックの融合であることに異論はない。


しかし、繰り返しになるが、LOS LOBOSというバンドは最高にイカしたロックン・ロール・バンドなのである。


筆者にとって、LOS LOBOSのアルバムにハズレはないのだが、人に紹介する時に選ぶ一枚としては今回取り上げた4thアルバム「BY THE LIGHT OF THE MOON」を勧めることが多い(余談だが、このバンド、ディスコグラフィをどのようにカウントするかが難しいバンドである)。


このアルバムは、グルーヴたっぷりのドラムスやパーカッションが鳴らすリズム、ツボを押さえた弦楽器と鍵盤、セクシーなヴォーカル、それらに彩を添える管楽器、全てのピースがジャストなタイミングで決まっている名盤中の名盤であろう。


2018年現在の今でも現役のバンドであるが、このバンドの在り方というのはロックン・ロール・バンドの理想形の一つではないだろうかと思うことが度々ある。


THE ROLLING STONESザ・ローリング・ストーンズ〕やAEROSMITHエアロスミス〕等、歳を取ってからでも現役を貫くロックン・ロール・バンドもある(THE ROLLING STONESAEROSMITHには10歳ほどの世代差があるが)。


しかし、THE ROLLING STONESAEROSMITHの活動を見ていると少々無理がある感じがしなくもない。


それに比べ、LOS LOBOSの活動は自然体である。


気心知れたメンバー同士で、こんなにも肩肘張らないロックン・ロールを演奏し続けられたなら、なんて幸せなんだとうと羨ましくなることがある。

 

#0114) THE DOWNWARD SPIRAL / NINE INCH NAILS 【1994年リリース】

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日本でNINE INCH NAILSナイン・インチ・ネイルズ〕というバンドの名が広まったのは、GUNS N' ROSES〔ガンズ・アンド・ローゼズ〕のW. Axl Rose〔W・アクセル・ローズ〕がインタビュー等で度々お気に入りのバンドとして彼らの名を挙げていたからだろう。


「彼ら」と書いてしまったが、その実態がTrent Reznor〔トレント・レズナー〕のソロ・プロジェクトであることは最早説明の必要すらない。


NINE INCH NAILSが1stアルバム「PRETTY HATE MACHINE」をリリースした1989年頃の筆者は、かなりGUNS N' ROSESに入れあげていたので、NINE INCH NAILSの情報も早い段階でキャッチしていたのだが、確かこのアルバムは米国でのリリースと日本でのリリースにけっこう時間差があったような気がする(古いことなので、正確な記憶はなく、間違っていたならお許し頂きたく)。


日本盤のリリースが待てなかった筆者は輸入盤で「PRETTY HATE MACHINE」を買ったのだが、正直なところ、このアルバムを最初に聴いた時の印象はそれほど強いものではなかった。


NINE INCH NAILSに対しそんな印象しかなかった筆者がこのアーティストを無視できなくなったのは1992年にリリースされたEP「BROKEN」の激烈なサウンドを聴いてからなのだが、彼ら(と言うよりTrent Reznor)が他のインダストリアル・ロック系アーティストを大きく引き離し、この分野のトップに君臨する切っ掛けとなったのは1994年にリリースされた2ndアルバム「THE DOWNWARD SPIRAL」であることはロック・ファン共通の認識であろう。


たった今、「インダストリアル・ロック系アーティストのトップ」と書いたが、実は筆者個人としては、NINE INCH NAILS よりもPIG〔ピッグ〕、KMFDM〔ケーエムエフディーエム〕、MINISTRY〔ミニストリー〕を好んで聴いている。


しかし、そんな筆者でも「THE DOWNWARD SPIRAL」を初めて聴いた時の衝撃は凄かった。


もちろん、緻密に構築されていながらも破壊的で激烈なサウンドに衝撃を受けた部分もあるのだが、アルバムのラストを飾る"Hurt"というバラード(と言えるのだろうか?)に最も大きな衝撃を受けたのである。


"Hurt (傷つける)"というタイトルからしてハッピーな内容ではないことは分かるのだが、この曲で傷つける対象となっているのは自分であり、その暗澹たる歌詞の世界観にやられてしまったのである。


この曲は、


I hurt myself today(今日、自分を傷つけてみた)
To see if I still feel(まだ感じるかどうかを確認する)


と始まり、


Full of broken thoughts(壊れた考えが満ち)
I cannot repair(修復できず)


という絶望的な展開になりつつ、最後には、


If I could start again(もし再び始めることができたなら)


と、ほんの僅かの希望で締めくくられる。


この壮絶な世界観を持つ曲をTrent Reznorが書いた時、NINE INCH NAILSはインダストリアル・ロック系アーティストのトップという立ち位置すら抜け出し、THE BEATLESザ・ビートルズ〕やLED ZEPPELINレッド・ツェッペリン〕等と並び立つロック・レジェンドとなったのである。