今回取り上げているMARILYN MANSON〔マリリン・マンソン〕の2ndアルバムのリリース情報が日本の洋楽雑誌に出始めた頃、そのタイトルが「ANTICHRIST SUPERSTAR」だという記事を見てドキッとした記憶がある。
その理由は、国家元首であり行政府の長である大統領が、その就任式において神への誓いを述べるほどのキリスト教社会である米国の中で、「ANTICHRIST SUPERSTAR」というタイトルをアルバムに付けるということは、かなり危険な行為であるように思えたからだ。
日本で「反仏陀スーパースター」と言ったところでそれほどのバッシングを受けるとは思えないが、米国や欧州で「ANTICHRIST SUPERSTAR」と言ってしまえば凄まじいバッシングがあることは想像に難くない。
少なくとも筆者は、とてもじゃないがそんな危険な言葉を口にする勇気はない。
それ故、MARILYN MANSONの2ndアルバムのタイトルが「ANTICHRIST SUPERSTAR」になるという記事を見た時にドキッとしたのである。
筆者は、神や宗教や信仰に関しては無関心であるが、無神論者なのかと問われれば、そういうわけでもない。
個人的な見解では無神論という思想も、ある意味それはそれで「無神論」という一種の信仰のように思えるからだ。
筆者の場合は、神や宗教や信仰に関しては無関心であり、全く興味がないだけなのである。
従って、MARILYN MANSONの「ANTICHRIST SUPERSTAR」も極めてクオリティの高いインダストリアル・メタルとして、その音楽のみを楽しんで聴いている。
そもそも筆者は音楽を聴く時に歌詞に関しては殆ど無関心だ。
筆者はヴォーカルを楽器の一種として聴いているので、特別に好きなアーティストの場合は歌詞を翻訳して意味を知りたいと思うこともあるのだが、それ以外の場合は歌詞を意識することがない。
10代の頃に聴いた大好きな曲の歌詞の翻訳を何十年も経ってから知ることもあり、「けっこー、しょーもない歌詞やってんなぁ」と思うこともあるのだが、だからと言って、それでその曲が嫌いになることはない。
MARILYN MANSONの「ANTICHRIST SUPERSTAR」も、筆者が英語に達者な人間だったらドキドキして聴けなかったかもしれないが、幸か不幸か英語に達者でないが故に高性能なインダストリアル・メタルとして楽しむことが出来ているのである。